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医師のキャリアをとりまく環境・未来
真野 俊樹1987年名古屋大学医学部卒業。医師、医学博士、経済学博士、日本内科学会専門医、MBA。臨床医を経て、95年9月コーネル大学医学部研究員。外資系製薬企業、国内製薬企業のマネジメントに携わる。その後、昭和大学医学部(病院管理学担当)専任講師を経て、現在、多摩大学医療リスクマネジメントセンター教授。 医師と医療経済 第9回給与の話を次回に今回は、少し堅苦しい話ですが、経済学の基本のような話ですので勘弁ください。ただ、こういった話が続くと疲れてしまうでしょうから、次回は、給与の決まり方についての考え方について書くつもりです。とはいっても、皆様方個別の医師の方の給与についてではなく、もうすこし経済学的な話、大づかみになりますが、ご期待ください。 さて、今回は、前回からの宿題になっていた方法論的個人主義からはじめましょう。 方法論的個人主義経済学への批判のひとつが、この方法論的個人主義、なかでも合理的経済人の仮定にあります。合理的経済人とはホモエコノミクスといわれる、経済的な目的によってのみ行動する人間のことです。すごく極端な言い方をすれば、お金がすべてという考え方、ホリエモンのような意見の持ち主です。 しかしながら、人間はそもそもも、ホモサピエンス ですが、ホモエコノミクス以外にも、人間は何をもって生きるのかという問いかけには、たとえば、遊ぶことに人間の本質的機能を認める立場からオランダの歴史家ホイジンガが人間を規定したホモルーデンスといった言葉もありますし、マズローのよう人間の欲求を5段階に分けて考える考え方もあります。 しかし、そういったふわふわした生きる動機を入れてしまえば、科学的な研究が行いにくい 、というのが合理的経済人の仮定です。医学・医療を学んだ方にはかなり違和感があるかもしれません。 ここで、個人においては経済的以外の動機、合理的でない行動をとる可能性はありますが、細胞にはおそらくそのような複雑な思考は存在しないと思われます。さらにいえば、遺伝子も利己的な行動をするというドーキンスの議論もあり、医学研究ではあえて、この方法的的個人主義を仮定する必要もない、ということになります。 要するに、経済学が「ニュートン物理学」的な科学的思考を行ううえで、この合理的経済人の仮定はなくてはならないものなのです。逆に言えば、医学研究では人間を扱うことが少ない、またそれを扱う社会医学も主に疫学といった手法で集団として人間を扱う。これは、経済学では方法論的集団主義という手法になり、歴史研究から経済の法則を見つけようとする立場になります。 何が経済行為なのか?ここで、もうひとつ考えなければならないのは、医療の中で何が経済行為に当てはまるのかと言う点です。 「経済財」という言葉があります。これは市場で特定の価格(ゼロでない)で売買される財をいいます。なお、財とは、経済学で、人間の欲望を満たし、人間が支配・処分することのできるものです。「経済財」でないものを「自由財」といいます。これは空気のようなもので、普通は値段がつきません。そのほかに、互酬とか贈与といった行為が、ものやサービスの交換形態としてあるが、こういったものは経済行為に当たりません。「赤ひげ」が無料で施す医療は経済行為ではないのです。「赤ひげ」とは、黒沢明監督の下で映画化もされた、お金のない貧しい患者さんからはお金を取らずに治療をしていた江戸時代の医師のことですよね。 古来「医は仁術」といいます、仁術という意味は経済法則に従わないという意味です。しかしながら、経済学的に考えれば「赤ひげ」は、貧しい患者さんからはお金を取らなかったかもしれませんが、豊かな患者さんからは高いお金をもらって生計を立てていたことには変わりはありません。「赤ひげ」は個人のレベルで市民の所得再分配を行っていたことになるかもしれません。 このように、金銭に媒介される行為を経済行為というのであれば、一般に医療機関が提供している医療すべてが間違いなく経済行為といえます。ましてや、医療保険制度の下で行われている医療は間違いなく経済行為なのです。 一方で医学は、患者さんを救うための手段の学問である。しかし、ここに価値判断への意見を迫られる局面が来ているといえます。そして、その主なものが経済と医療の両立になります。 |
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